伝説の販売士、松下周平さんがどのようにしてレジェンドと呼ばれるようになったのか?

芸能

12月7日放送、ニンゲン観察バラエティ モニタリング

伝説の販売士”レジェンド松下”さんなら明らかに不要な物でも売れるのか?

実演販売のテクニックに期待したいですね

そんな伝説の販売士の松下さんはどのようにレジェンドと呼ばれるようになったのか、気になったので調べてみました

 

プロフィールと経歴

本名:松下周平
生年月日:1979年8月3日([birth day=”19790803″]歳)
出生地:神奈川県横浜市栄区
身長/体重:172 cm/80kg
血液型:O型

法政大学経済学部経済学科卒業
コパ・コーポレーション取締役

 

学生時代の松下さんは注目されたい人?

子供の頃はサッカー選手を目指していたそうです

近所ではそこそこ上手かった方らしいですが、中学でクラブチームに入ってみるとその実力差は歴然で、かなわないと思った松下さんはすぐにやめてしまったようです

この頃から出来ないと思ったことは無理せずに、出来ることを「傾向と対策」を練りつつコツコツと続ける性格だったとの事

授業で習った歴史などすぐに要約して物語として話す事が得意だったようで、テスト前にはこれを聞きに来る友達で人だかりが出来たといいます

周りから「明るく面白い奴」と認められつつも、実は相手がどう思っているか気にするタイプだったようで、卒業アルバムにも「サッカー選手」と書きたいところをなれなかった時に事を考えて「有名人」と書いたとか

その頃、思春期の男の子ならではの悩みがあったようで、周りの対面を気にしていた松下さんは友人にも相談できず

それを当時聞いていた「オールナイトニッポン」でパーソナリティーをしていたシンガーソングライターの石川よしひろさんが「弱みを笑い変える」話が彼に衝撃を与え、悩みも解消されていったようです

そうしたことから、夢はサッカー選手からテレビやラジオで活躍出来る人に変わっていきました

受験に失敗した松下さんは予備校に通いながら横浜スタジアムでコーヒーの売り子を始めます

稼ぐためにどうすればよいかを考え、「観客と一緒に応援する」を第一にお客さんに

「次に点が入ったら僕から買って下さい」と声かけとともに自分で作った「選手の応援歌詞カード」を配ったそうです

その結果、普通40杯ほどのところ、松下さんはいつも200杯近く販売していたのだといいます

 

実演販売の世界へ、実は自分で名乗っていた”レジェンド”

大学卒業後はテレビ業界で働くために、制作会社を受けますがことどとく不採用だったようで、松下さんは自分に自信をなくしてしまします

雑誌の編集アルバイトをしていた時に偶然、実演販売の世界を知り販売のプロを志して和田守弘氏に弟子入りしました

常に師匠の口上を頭に叩き込んでいくうちに、それがすごく計算された理論に基づいているという事に気が付き、それが自分に合っていると確信しました

東急ハンズなどの店頭実演販売で調理器具の実演販売で全国を周り、テレビショッピングでの販売も開始

その頃に1晩で1億を売上げ”レジェンド”の名前が広まりますが、実は「レジェンド」はそういった実績の前に自分で名乗っていたのだそうです

こうなりたいという言葉を現実にしていったという事ですね

現在はテレビ出演などで実演販売士の知名度の拡大や、実演販売士が活躍できる“場づくり”全般を手がけるのが、主な仕事だそうです

まとめ

学生時代から人に注目されるように、考えて行動していたみたいですね

そのために出来ることは何か

「傾向と対策」を常に考え、実行してきたからこそ今の”レジェンド松下”さんがあるんだと思います

私達もいくつになっても「理想」を追い求め「現実」にしていけるようになりたいものです

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