政府が2024年(令和6年)に現在の紙幣を刷新することを発表している
新紙幣になるのは1万円札・5千円札・1000円札
現在の紙幣から大きさやデザイン、紙幣毎の人物はどのように変わるのだろうか
現在の自動販売機や自動精算機への影響は?
そして気になるお札の肖像の人物はどんな人なのか
解説していきたいと思う
もくじ
財務省発表による新紙幣の詳細
(1)新たな偽造防止対策等
・高精細すき入れ
現行の「すき入れ」に加えて、新たに高精細なすき入れ模様を導入
・最先端技術を用いたホログラム
一万円券及び五千円券にはストライプタイプのホログラムを新たに導入 ※1
千円券にはパッチタイプのホログラムを新たに導入 ※1※1 肖像の3D画像が回転する最先端のホログラム。銀行券への採用は世界初。
また、記番号について、現行の最大9桁から10桁への変更を予定しています。
(2)ユニバーサルデザイン(券種間の識別性向上等)
・指の感触により識別できるマークの形状変更及び券種毎の配置変更
・額面数字の大型化(表・裏)
・「ホログラム」及び「すき入れ」位置を券種毎に変更
などを予定しています。
新しい紙幣の大きさやデザイン、すかしはこれまでとどう変わる?
大きさについてだが、現在の紙幣と変わらないようだ
財布を買い換える必要はないだろう
「すき入れ」とは「すかし」のこと
お札の空白の部分を透かして見ると紙の厚みが違いで絵が浮かび上がる
新しいお札では現在のものより、より細かく表現されるようだ
新しいタイプのホログラムも採用
お札のキラキラした部分がそれだ
新しいお札では3Dホログラムが使用されるとのことで、見る角度で画像が回転するようだ
詳しい説明はこちらに
すかしやホログラムはお札の種類ごとに違った位置に配置されるとのこと
偽造を防止するための様々な最新技術が導入されている
紙幣毎の人物については
1万円札が福沢諭吉から渋沢栄一
5千円札が樋口一葉から津田梅子
千円札が野口英世から北里柴三郎
と変わる
「ユキチ」と呼ばれていた1万円札は2024年から「エーイチ」と呼ばれることになりそうだ
新しいお札、自動販売機や自動精算機への対応は必要?
これまで使用していた自動販売機や自動精算機については変更が必要となるだろう
特にビルバリと呼ばれる紙幣が挿入されて機器に収納される部分(紙幣識別機ユニット)については取替えが必要になる場合が多いのではないだろうか
お札の大きさが変わらないため、最近のものならばソフトウェアのバージョンアップで対応出来る機器もあるかもしれない
自動販売機や自動精算機を持つ事業者にとっては痛い出費だが、古い紙幣の回収、より高度な偽造防止対策のために必要とされている
ちなみに現在のお札に変わったのは2004年だった
20年も同じお札を使用していれば、お札に使われる技術も変化せざるを得ないだろう
500円硬貨も刷新、2021年から登場
500円玉も変わるとのことだ
デザインに大きな違いはないが、硬貨の外側と内側で若干色の違いが見られる
財務省の発表では硬貨の大きさについて変更はないようだ
重さについては新硬貨の方が0.1グラム重い
(1)新たな偽造防止技術
素材に新規技術であるバイカラー・クラッド(二色三層構造)を導入
貨幣の縁に、新たに「異形(いけい)斜めギザ」を導入 ※1
貨幣の縁の内側に、新たに微細文字を加工
※1 斜めギザの一部を他のギザとは異なる形状にしたもので、通常貨幣(大量生産型貨幣)への採用は世界初。
自動販売機や自動精算機でも硬貨はセンサなどによって選別されている場合が多い
大きさや重さに変更がないためコインメカニズム(コインメック)まで交換する必要なないかもしれないが、何らかの対応が必要となるかもしれない
新1万円札、渋沢栄一のどんな人?
生誕 1840年3月16日
(天保11年2月13日)
武蔵国榛沢郡血洗島村
(現埼玉県深谷市血洗島)
死没 1931年11月11日(満91歳没)江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立、経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。
大きな功績を残した知る人ぞ知る経済界の偉人だ
失礼ながら筆者はあまり存じあげなかった
これまで何度も紙幣の肖像として候補に上がっていたが、肖像には紙幣の偽造を防ぐために「ひげのある男性」が選ばれていたため、ひげのない渋沢栄一氏は採用されなかったそうだ
偽造防止の技術が進歩したことにより、ひげのない男性や女性が選ばれるようになったらしい
利益を追求するだけでなく、正しい行いをし社会に貢献することが永く繁栄するために必要だと説いている
富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。
新5千円札、津田梅子ってどんな人?
生誕 1864年12月31日
江戸牛込南御徒町
(現在の東京都新宿区南町)
死没 1929年8月16日(64歳没)日本の教育者。日本における女子教育の先駆者と評価される。女子英学塾(のちの津田塾大学)創立者。
明治・大正の時代に女子が男子同様に学べる基盤を築いた女子教育の草分け的存在
生涯独身を貫いた
新千円札、北里柴三郎はどんな人かのか?
生誕 1853年1月29日
(嘉永期)肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県阿蘇郡小国町)
死没 1931年6月13日(78歳没)日本の医学者・細菌学者・教育者・実業家。「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。
貴族院議員を務め、位階勲等は従二位・勲一等・男爵。医学博士、私立伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現・東京大学医科学研究所附属病院)創立者兼運営者、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名のうちの1人)、私立北里研究所、北里研究所病院(現・学校法人北里研究所)創立者兼初代所長ならびに北里大学学祖、慶應義塾大学医学科(現・慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長、テルモ株式会社の設立者である。
予防学に重きを置き、ドイツの大学に留学して細菌について深く研究
ペスト菌の発見や破傷風の治療の開発が有名
海外の研究所などから多くの招待を受けるが、日本に戻り福沢諭吉も援助を受け設立された私立伝染病研究所の所長となる
その後慶応大学医学部を創設、日本医師会の初代会長も努めた
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